赤根が初めて早大OC大会に登場したのは1984年、第6回大会のことである。地図名は「赤根峠」。大会は未明からの積雪により、あわや凍死者が出る寸前となる。「赤根峠」以前には「朝日山・赤根が峠」(東京都OL連絡協議会作成)が存在する。1989年の第2回インターハイで「榎坂峠」として使用されたのち、第15回大会で「赤根が峠」となる。「赤根峠」と比べて北部と東部が無くなっている一方で西に拡大されており、ここで失われた東部が現在の「飯能美杉台」及び「美杉台」である。その後第20回大会で「南高麗赤根峠」、第25回大会で「赤根」とリメイクされ今日に至る。
そもそも赤根峠(表記ゆれ有)とは、昔飯能と青梅をつないだ道のひとつ、飯能成木道が越えた峠であり、明治四十四年、畑トンネルの完成によりその役目を終えることになる。ちなみに名前の由来は峠で採れた粘土が焼くと赤褐色になることにより、この粘土は飯能焼に用いられた。
そして畑トンネルも昭和六十二年、バイパスの完成により県道から市道になり、現在は道の両側とも封鎖されている。この畑トンネルが今回「南高麗赤根峠」ぶりに地図範囲に含まれる。
以上のような道の変遷や赤根での造成は昔の地図からも見てとることができるだろう。このような歴史を少しでも感じていただけたなら幸いである。
出典
早稲田大学オリエンテーリングクラブ創立20周年記念誌
飯能市史 通史編
赤根峠立看板
畑トンネル立看板